ここは一つ台湾留学の経験談(辛かった方)を語ろうと思う。

台湾


どうも、Tidy Plus Taiwanです。


今回は台湾留学を4年間してきた管理人の青柳が、最終的に「なあ青柳、台湾留学ってどうだった?」って質問に対して中ボリューム(4,000文字位)で台湾留学の経験談を1年目から4年目まで書いていく記事。


ところで今にほんブログ村って所に登録をして色々と調べてみたのですが「これクリックされると良いんですよ」って書いてあったのでちょっと貼っておきます。

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え、なんかちっちゃくね。クリックしてね!多分サイズとか色々変えれるんでしょうね!僕わからんけど!


※下記からちょっとだけ真面目に書いていくよ!

台湾留学はどうだった?

楽しかったけど、耐える事(辛い事)も色々あった、まじで!


が、僕の正直な感想だ。台湾留学は楽しかったのは認める。ちなみに4年間全体の感想を配分にすると下記の通り。


楽しい:耐える(辛い) = 7:3



違う意見もあるとは思うけれど、僕はこう思った。で、この「楽しい」方に関しては僕のサイト以外にもたくさん記事が投稿されているので割愛する。



今回は、”3”の「辛かった事」の配分を大きくしてこの記事を書いていこうと思ってて、多分台湾留学の経験談としてはマイノリティに分類されると思う。でも、実は台湾留学には楽しいことばっかりじゃあないよってことを知って欲しかったのでこの記事を書いた。



特に僕の場合大学1年生で耐えることが多かった。僕は1年間だけ台湾留学をしたわけじゃなくて、4年間台湾人の大学生と同じように授業を受け、テストを受け卒業した。



「え、そりゃ青柳すげえなおい」と言われることも多い。



「…いやあ、そ、そう?へへっ」と言ってる気持ち悪い。



確かにちょっと凄いかもしれない。僕の場合は3ヶ月だけ中国語を勉強して、試しに台湾の大学の試験を受けたらなぜか受かっちゃって、親もビビってた。


親も「え、まじっすか?」と。ちょっと敬語になっていた。



当時飼っていた犬(トイプードル)も「いつもより多めに顔面舐めるぜ!」って感じで祝福してくれたし、当時蚊にめっちゃ刺された。虫すらも僕を祝福したのでは…と思った。完全なるおのぼりさん状態。




多分僕は結構な運をここで消費したことだろう。




ちなみに合格した大学は淡水の方にあるので「台湾 淡水 大学」とかで調べれば大体の察しはつくと思う。話を戻そう。



逆に言えば、僕は3ヶ月しか中国語を勉強していなかったから、大学1年生の頃なんて授業は全く分からんかった。


ところで急に話が変わるんだけれども、下記の画像は僕が過去台湾で撮影したミッキー的なやつ。ミッキーじゃないと思うけど、閑話休題的な意味合いで載せてみた。まつ毛がすごい、でもミニーでもないと思う。


確か中山駅だったかなぁ…。手を振ると、ふりかえしてくれた…のであろう図(笑)

台湾留学1年目前半は地獄だった

僕が入学した学部は「経済」について勉強するところで、主に貿易関係の授業だった。例えばエビを日本へ輸入する時はどうやって日本に輸入するのか?みたいな授業。


なんで例えをエビにしたんだろう、車海老おいしいよね!


まあそれは面白かったのだけど、問題は法律・経済学の授業などむっつかしー授業があったことだ。そりゃあま大学だから難しいのは仕方ないんだけどさ。


でも僕は元々台湾に住んでいた事もなければ、中国語が流暢に話せたわけではない。3ヶ月だけ中国を勉強しただけのなんかその辺のモブキャラみたいな純・日本人


全くもって授業、つーか全体的に台湾人たちの会話が分からん状態だった。これが地獄。


想像して欲しい。いきなり「お前3ヶ月間フランス語勉強して、フランスの大学行ってこい!」と言われたら「え〜マジっすか」的な感じになると思う。




まあ僕は自分で志願したのだけれど。




友達もできたけれども「今日天気いいね?」とかイギリス人かお前?みたいな会話しかできなかった。友達はできるけど、ちゃんとした会話ができないと言う地獄。




台湾人の友達たちもよく付き合ってくれたなって今でも思う。

このバス一回乗ってみたいよね!え、そうでもない?


その辺の中国語のレベルに関することは、下記の記事でめっちゃ書いているので参考にしてくれると嬉しいなって思いますぜ!


関連記事:台湾留学をやめたい人はちょっと待って…!この記事だけ見て下さい【やめたかった台湾留学4年間経験者が語る】

関連記事:台湾留学を1年間したら中国語はどれくらいできるようになるのか?

台湾留学1年目の後半

まだまだ地獄だった。


僕が通っていた台湾の大学は田舎で、僕が入った学部にまだ誰も日本人が在籍した事はなかった。だから、いわば僕が最初の日本人だった。


だから教授も困ったと思う。「やべこいつテストできてねーけど、どうするよ。一番最初でしょ?うちに日本人入ってきたの。留年はまずいべー」的な会話をしていたと思う。


と言う会話があったのかどうかは分からないけれど、最終的にはしっかり経済学の単位やらなんやらをボロボロと落とされてしまい、もう帰ろうかと本気で思った。まだ日本人の先輩でもいればなんとなかったけれど、僕は孤独だった。


成人式にも出れなかったしなあ、と言う淡い思い出。



中国語も大してできず、他の日本人の正規留学もいない、授業も単位を落としてばかり。と言う悲惨な状態だった。だけど…一筋の光が見えた。


何かというと、元彼女(現・奥さん)に会った&付き合った。この辺の話は恥ずかしいしただの惚気なので、この1行だけで終わり!!笑(酔っ払ったら馴れ初めでも書こうと思う)


ぶっちゃけここで僕は奥さんに会っていなかったら、卒業まで行き着けたかどうかは怪しい…。

台湾留学2年目前半

台湾留学、2年目の前半はあまり書くことがない。なぜなら台湾留学1年目の時と同様、僕は相変わらず授業が楽しくなかった。


楽しみといえば、1年目の時に知り合った(今は)奥さんと台北101に行ったりして、キャッキャうふふしながら楽しんでいた。


で、たまーに中国語で話したりもして練習をして、ちょっとだけ中国語のリスニングとスピーキング能力があがってきた。一人でマックも注文できるようになってきた。


ここから僕の留学生活はちょっと良くなった。

台湾留学2年目後半







なんか、覚醒した。



僕もよく分からなかったんだけれど、2年目の後半から突然台湾人が喋っているありとあらゆる言葉がなんとなくわかるようになってきた。


「おう、おうこりゃ楽しい!」教授の言っていることは…まあまだ専門用語とかはよく分からなかったけれど友達との会話も楽しくなってきた。


そりゃそうだ、聴けるし、話せるんだから。


色々と考えたのだけれど、完全に耳や僕の脳が「お前は今台湾にいる」「中国語脳にしてやろう」みたいな感じになったのだと思う。



で、その辺りのことも記事にしているからご興味があったら見て欲しいなって思います。
台湾留学を2年間したら中国語のレベルはどうなるのか?



しかし、単位は落とした。単純に僕はおーばーかーさんだったのだ。やっべえやっべえやっべえぞと…留年はしたくねえぞ…と色々考えた。

台湾留学3年目前半

本気で授業を受けるようになった。なぜなら中国語が聞き取れ、話すこともできるようになってきたからちょっと授業が面白くなってきたからだ。後、単位を落としたらまずいからだ!



人間本気出せば案外なんでもできるんだなって思った。



僕はここから驚異の追い上げを見せ、なんと20時からある夜間の授業にまで出席し、単位を貪るように取り始めたのだ。


しかし、どう考えても単位が足りないことに気付いてしまった僕。このままでは留年するんじゃねーかと思ってた僕だがここでとんでもないことに気づく。


あ、そうか日本語学科の授業を受けよう

台湾留学3年目後半


そして日本語の授業を受けた、とても簡単だった。



なんで日本語の授業を受けたかというと、自分の学部以外から単位をいくつか取らなければ卒業できないというルールがあったからだ。くっそ。



まあでも楽勝だった。なぜなら僕は純・日本人という肩書きもある。



更になんと言っても先生が日本人だったし「あ、どうも」とか言ったら「ああ、こんにちは」みたいな感じだったしそこだけ完全に日本だった。



でもここで適当に授業を受けるのはダメだから、しっかりやった!アイウエオとかも復習したしなんか会話文とかもすごい簡単だったけどやった!



そして最後の日本語の期末テスト!




僕は98点だった。なんで2点落としたのかは分からない…。で、でもまあいい。受かったんだから。



このように泥臭いやり方でちょっとチートを使った僕は、単位を鬼気迫る勢いで取り続け、気づけば4年間で台湾留学を終わらす事ができるほどのペースで単位を貪っていた。


単位も「うわー青柳がきたぞー!逃げろー!」的な感じだっただろう。

台湾留学4年目前半


台湾留学4年目になる頃には中国語なんて完璧だったし、なんならちょっと中国語でちっちゃい講演会(?)みたいな事もやったり、授業で僕の生い立ちについて中国語で30分紹介するなんて事もやった。


後、ライオンズクラブの翻訳(日本のライオンズクラブと台湾のライオンズクラブのおじさんたちが話す会)もやったりしてた。



イケイケだった。これは多分死語だ。授業を凄まじい勢いで受け、単位を取ってきた僕。彼女とも楽しく過ごしていたし、ウハウハだった。



更に4年目は毎週2つ授業に行けばよかった。楽勝だった。

台湾留学4年目後半

もう向かう所敵なしだった。


この頃には、日本人の正規留学生が増えて後輩もめっちゃ増えた。めっちゃ楽しかった。


そして僕は最後、4年生の時に選択をした心理学(先ほど説明した毎週2つの授業の一つ)という授業のテストを受けた。というかこの心理学のテストに落ちてしまうと、僕は留年決定だった。なので決して戯れではない。むしろねじり鉢巻でもするんじゃねーのってくらいに努力した。



が、テスト内容はとーっても簡単だった。



60点以下になると不合格だったが、感触としてはもう100点を超え800点くらいだった。



結果を見た。












61点♡




あっぶねがったぁああああああ


なんと!とってもあぶなかったのだ。この1点ってなんだったんだろう。分からないけど、まあ良いか。

完結


と、ここまでが僕の台湾留学4年間の一連の流れでした。この記事で言いたことは「リアルな台湾留学を伝えたい」「台湾留学が辛いって方は2年目の終わりになると世界が変わってくるから頑張って欲しい」ってこの2つ。


鬼気迫る感じにしたかったので、「〜です」「〜ます」は避けました。また、登場人物を増やしてしまうと漫画キングダムの登場人物かよってなってしまうので



「僕」「教授」「彼女」くらいしか登場させませんでした。まあただ台湾の友達もいっぱいいましたし、なんなら今でも連絡をとっている方も多いです。




台湾の友人「林(仮名)くんとのお話」もなかなか笑えるのでぜひどうぞ。



さて、それでは長くしても仕方がないのでこの辺で終わりにします。冒頭でお伝えしたにほんブログ村の「台湾留学」ってバナーが貼ってあったので置いておきます。



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今回は、終わり!

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